29歳未経験からweb系転職

【元営業マン】新卒で入った上場企業を2年で辞めた理由。

 

いい大学に行けば、いい会社に入り、幸せになれる

 

なにも夢がない高校生のころ、両親からこう言われ、それを信じて、

『東京の有名企業に入って年収1000万円稼ぐんだ』

と希望を胸に地方の小さな塾で1日13時間の勉強を経て早稲田大学に合格しました。

これは偏差値50ベースの私の高校では快挙であり、両親も大喜び。

塾のチラシには私の名前が掲載され、軽い噂になるほどで、

友達、知人からは羨望の眼差しを感じながらも、気づいていないフリをして、

"普通に、謙虚に"あしらいながらも、私は生まれ変わったかのように不思議な自信で満ち溢れていました。

3年後の就職活動で、いかに自分が"お上りさん"だったかを痛感しながらも、社員1,000人以上の上場企業に滑り込むことができました。

しかし、人生10年を費やした"上場企業に就職、出世して活躍"という急行列車のレールをわずか2年で自ら飛び降りたのです。

この記事ではその理由をつづります。

いま、会社を辞めようかどうか迷っている、

・やめるのがいいのか

・もう少しとどまるのがいいのか

と悩んでいるあなたに気づきが与えられたらと思っています。

私が会社を辞めた理由

  • 会社に依存しない自分になりたい。
  • 営業職以外の仕事、専門的なスキルを身につけたかった。  
  • 人生を変えるための時間がない 
  • 時給換算したらめちゃ安い。

結論から伝えるとこちらの4つが理由です。
これから、この考えに至るのにどのような変化があったかをお伝えします。

会社依存の人生は危険。リーマンショック時に気づいた会社の正体。

きっかけはリーマンショックでした。

この事件により、私の"俺はこの会社で出世する!"という、意識高い系の価値観は崩れ去ることになります。

金融のきの字も分からない文学部出身の私は、なんか凄いことが起きているんだろうな、と思っていましたが、

所属していた会社でも影響があり、会社がいきなり希望退職を募りました。

それは新聞にも載り、遠い田舎の親父からも電話があるほど大きな出来事でした。

組織の大編成が起こりました。そのとき衝撃的な会社の正体に気づいてしまったのです。

周知で当然の事実ですが、この事が起きるまで、私はそんな事もわからなかったのです。

『会社は営利集団。会社のためなら社員の生活は二の次。』

ということを。

伝説の営業マンの左遷、クビ 

伝説の営業部長のSさんは、独自の営業力で売り上げを伸ばしていき、

雑居ビルの会社を上場させるまでに一役かった人として会社からも一目置かれる存在でしたが、

このリーマンショックで地方に左遷、その1年後クビを切られたのです。

時代の流れとともに徐々にそのやり方は通用しなくなっていたのです。

非効率だなぁと私でも思っていましたが、まさかクビになるとは思いませんでした。

「その人のおかげで会社はここまでこれたのに、ひどすぎる。

長年かけて献身的に会社に身を捧げ、栄光をつかんだ人でも、切られる時は一瞬

なんなんだよ。」

  • 今、もし会社がなくなったり、クビを切られたら生きていけないな
  • 会社に依存しなくても生きていける方法はあるのか?

そんなモヤモヤを感じるようになりました。

成熟した資本主義。ワイルドでかけがえのない人生をどう生きるのですか?

就活中、私は総合商社に憧れていたが惨敗したトラウマがありました。同じように笑っていたサークルの同期が、一流の5大商社にバンバン内定します。

彼らは影で努力をしていたのです。

商学部に落ちたこと、目的のない文学部に在籍していた自分にコンプレックスがありました。

社会人になってからはそいつらに負けない闘志を燃やし、英語と簿記を勉強し始めます。

留学も意識したとき、たどり着いたあるブログの言葉に心を奪われます。

岩瀬大輔さんという方(元ライフネット生命保険取締役会長)のハーバード留学記のなかの、卒業式、キャリアについて考えた一文です。

僕らの両親が育ったような時代はまだしも、これだけ価値観やオポチュニティが多様化した、成熟化した資本主義の時代において、一度しかないワイルドでかけがえのない自分の人生を、大きくて有名な組織で安定を求めてあくせく働いて過ごすことの意味は、もはやなくなった。

とにかくワクワクする毎日を送れる職場を、全力で追い求めるべきだ。

僕ら一人一人には、大きな可能性がある。

目の前に開かれた道を妨げるものがあるとしたら、それは自身の怠惰、創造性や勇気、努力の欠如しかない。

自分という一人の個にユニークなエッジを活かして、自分にしかできない、めいっぱいワクワクする人生を送るべきだ。

私が感じていたモヤモヤを見事に言語化してくれました。

そう、ワクワクする人生を送るべきだ!そう、努力しよう!

と心熱くなったのです、一方で

何を?

何を頑張る?

そこに具体的な答えを見つけられぬまま、そして自分で稼ぐという発想が思いつかず、

「TOEIC700点以上、簿記2級という商社マンの新卒レベルまで成長して、 商社に転職しよう」と会社員の上流にいくことに意識がずれ始めます。

それでも当時はそれだけの能力があればどこへ行っても通用するはず、と考えたのです。

営業職「だけ」を極めていいものか

商社マンは営業力も必要ですから、今の会社で営業をつけよう!

と考え、営業スキルを学ぼうと必死になります。

しかしやればやるほど、"これじゃない感"と"ここは勝てる場所ではない"と感じはじめました。

詳しくは営業職を辞めた理由、でお話しします。

何かを変えようと思っても時間が足りない。

朝は8時に出社し、夜は22時に退社。これが普通でした。

22時30分から高田馬場のマクドナルドで100円コーヒーという入場券を手にして、

商社マン人材になるべく、英語と簿記の勉強を終電まで勉強をしていました。

しかし、明らかに無理がありました。

眠すぎて、営業に身が入らず成果を出せず上司から詰められ退社の時間が延びる、という本業も勉強もままならない悪循環。

マジで時間がない。

このままじゃ何も変わらない。

焦りつつ、いつものマクドナルドに向かうと、

【深夜アルバイト募集!時給1,000円!】

という張り紙が目に入ります。

あれ、結構いいんだな。

あれ、そういえば俺って時給いくらなんだろうか。

ふと自分の時給を計算した時、

絶望の数字を目にします。

時給961円。自分の仕事を時給で換算。

私は月に250,000もらっていたので、まあ都会の新卒では普通だと思います。労働時間は、お昼を除くと1日13時間×5日×4週=260時間。

 簿記の勉強で使っていた電卓で数字をはじき出すと、 

カタカタ 

250,000÷260=961

ん?961?

マクドナルドのバイトより低いじゃん。

受験勉強で1日13時間かけて1年で出た成果に対し、会社で頑張った1日13時間は疲労と絶望しかありませんでした。

そこで、ふと蟹工船という小説の有名なフレーズが浮かんだのです。

 

『働けど、働けど、 我が暮らし楽にならざり ぢっと手を見る』(石川啄木)

 

駅のホームでぼーっと終電を待つあいだ、

背伸びをして買ったお洒落なネイビーのストライプスーツ、

就職祝いでもらったブランドの腕時計、ツヤのある革財布を眺めながら、

「田舎から東京に出てきてこれか。見た目だけはよくなった、かな。」

身なりとお金が見合っていない自分に恥ずかしさすら覚えました。

これなら生活費は最低限のバイトをしてでも、自分に時間を使ったほうがいい、やめてもいいかな。

翌日、上司に言いくるめられないぞと鼻をフンフンさせ、

「資本主義では~」と仕入れたばかりの言葉で上司をここぞとばかりとマウントし、辞める旨を伝えました。

最終的には時給換算が引き金となり、長年想い続けた"上場企業の社員"という道を降り、退職にいたったのです。

その後地獄を見ることになるのですが。

・・・・

以上が、私が会社を辞めた理由です。

なにかを変えようと思ったときには努力の時間が必要です。その意味では私は正解でした。

しかし、感情的に会社をやめるのはお勧めしません。

世間的には高学歴でも、個人では29歳無職、実家ニートまで落ちてしまった私の例もあるからです。

会社を辞める、というのは1つの選択肢です。しかし、まだ辞めなくてもいい場合もあります。

辞めようかどうか迷っているなら

辞める前に確認することは、

  • 明確な目標をもっているか?
  • 自信のあるスキルを持っているか?
  • そのスキルを獲得できる明確なプランがあるか?
  • 事業を起こすならビジネスプランを明確にもっているか?
  • 時給は上がる可能性があるか?・生活費に余裕があるか?

です。その理由は追加記事と私のストーリーで紹介していきます。

勢いで退職をした場合、下手をするとどん底に落ちます。

私はどん底に落ちました。

辞める前に自分の状況を確認しましょう。

スキルや明確な目標、ある程度の生活費があるなら辞めても問題ないと思います。

逆に、ただ会社や仕事が嫌だから、当面の生活費がない場合は、会社に所属しながら会社内や会社外スキルを磨いて、貯金をしてから考えることをおすすめします。

時間がなくてスキルをつけられなくても、どんなスキルを身に着けたいか1つに絞っておくことをおすすめします。

それとこれから綴る私のストーリーを見て、想像を膨らましていくことです。そうすれば地獄を避けられる可能性が上がります。

私は29歳で無職、結婚したいと思った彼女には当然フラれ、東京で生活できなくなり、地方の実家でニートという、最悪の状態まで落ちました。

それでも今ではあの時、辞めてよかったと思います。それは"辞めるときにぼんやりと描いていた未来"に今生きているからです。

結果的には、私が感じた"直感"は正しかった、のです。

しかし、その過程、復活するまでに随分と時間を費やしました。

もう少し頭がよければ、うまくやれたと思います。

あなたには効率よく人生を変えてほしいので反面教師として参考にしてください。

次の記事では、職種(営業職)に絞ったお話をします。